「つわものどもが夢の跡」とはどういう意味ですか?
「夏草や兵どもが夢の跡」とはどういう意味ですか?
ことに「夏草や―」の句(夏草の茂るこの地は兵士たちが功名を夢見て戦った跡。 私も夢にその面影を感じたことだ、の意)は、多くの人が知る傑作。
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つわものどもが夢の跡 誰の言葉?
概要 松尾芭蕉が平泉で詠んだ句「夏草や兵どもが夢の跡」の一部である。 「おくのほそ道」に載っている著名な句で、この句全体がタグとして使われることもある。 平泉はかつての奥州藤原氏の本拠地であり、滅んでしまった奥州藤原氏、またはそこに亡命しながら討ち取られた源義経などに思いを巡らせて、儚さを表現したものと解されている。
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兵どもが夢の跡 誰?
芭蕉の足跡をたずねて、新緑まぶしい世界遺産・平泉へ 若草色の“春もみじ”がまぶしい、新緑の中尊寺。 「夏草や…」の句は、松尾芭蕉が平泉で5月13日(新暦6月29日)に詠んだ俳句です。
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「強者ども」とはどういう意味ですか?
強者は、もとは「つばもの」。 つばとは、刀の「鍔」のこと。 もともと武具を表していたのが、今では鍛えあげられた心と技の持ち主のこと。 芭蕉が詠んだ平泉の地は、かつて義経主従や藤原一族の者たちが功名・栄華を夢見たところです。
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五月雨をあつめて早し最上川とはどういう意味ですか?
句意は「降り続く五月雨(梅雨の雨)を一つに集めたように、何とまあ最上川の流れの早くすさまじいことよ。」 6月、酒田の寺島彦助亭で、歌仙の発句として作りました。 句意は「(ようやく夕方になったが、)暑い一日を海に流し入れてしまった最上川(その河口のあたりから涼しい夕風が吹いてきた)」。 江戸時代の俳人。
静かさや岩にしみ入る蝉の声とはどういう意味ですか?
【意味】ああ何という静けさだ。 その中で岩に染み通っていくような蝉の声が、いよいよ静けさを強めている。 ニイニイゼミかアブラゼミか、単数か複数か、この時期にセミは鳴かないだとか、昔からさんざん議論されてきた句です。
さみだれをあつめてはやし最上川?
句意は「降り続く五月雨(梅雨の雨)を一つに集めたように、何とまあ最上川の流れの早くすさまじいことよ。」 6月、酒田の寺島彦助亭で、歌仙の発句として作りました。 句意は「(ようやく夕方になったが、)暑い一日を海に流し入れてしまった最上川(その河口のあたりから涼しい夕風が吹いてきた)」。 江戸時代の俳人。
松尾芭蕉はどんな人?
芭蕉は、江戸時代前期の俳諧師で、俳句を単なる言葉遊びの芸事から世界で最も短い詩として文学にまで高めました。 芭蕉は1644年に伊賀国の上野(三重県伊賀市)の松尾家の次男として生まれました。 十代でその地を治める藤堂家の屋敷に務めました。
強者の漢字は?
強 ー 〈強者〉 「兵」とも書く。
さみだれや大河を前に家二軒 意味?
「五月雨が何日も降り続いて、勢いを増した大きな川が激しく流れている。 その川のほとりに家が二軒、寄り添ってぽつりと建っている。」 という意味になります。
奥の細道はどこからどこまで?
『奥の細道』は、江戸中期の俳諧紀行です。 元禄2年(1689)3月、松尾芭蕉が門人の曽良と江戸深川(現・東京都江東区)を出発、奥州・北陸の名所・旧跡を巡り、8月に大垣に至るまでの紀行を、発句をまじえて記したものです。
古池や蛙飛び込む水の音の季語は?
季語は蛙(春)。 古い池に蛙が飛び込む音が聞こえてきた、という単純な景を詠んだ句であり、一見平凡な事物に情趣を見出すことによって、和歌や連歌、またそれまでの俳諧の型にはまった情趣から一線を画したものである。
五月雨をあつめて涼しとはどういう意味ですか?
句意は「降り続く五月雨(梅雨の雨)を一つに集めたように、何とまあ最上川の流れの早くすさまじいことよ。」
松尾芭蕉はどこで亡くなったのか?
1694年11月28日, 大阪府 大阪市松尾芭蕉 / 死亡日
松尾芭蕉は何歳で亡くなったの?
50歳松尾芭蕉 / 享年 (1644年 – 1694年)
「キワモノ」とはどういう意味ですか?
①ある時期だけ売り出す品物。 門松・ひな人形・鯉(こい)のぼりなど。 ②一時的な流行や話題をあてこんで売り出す商品。
強い者と書いて何と読む?
きょう‐しゃ〔キヤウ‐〕【強者】
強い者。 他にまさる力や権力をもつ者。
涼しさや鐘をはなるる鐘の声とはどういう意味ですか?
涼しさや鐘をはなるるかねの声
鐘をついたゴウンという音は、そのまま消えないで、鐘を離れてゴウンゴウンと広がって行く。 その音はいかにも清涼な感じである、の意。
ずんずんと夏を流す屋最上川とはどういう意味ですか?
「この時期の最上川の水量は圧倒されるものがある。 夏という季節を乗せ、勢いよく流れているようだなぁ。」 といった意味になります。
松尾芭蕉は忍者ですか?
忍者の里・伊賀で生まれた松尾芭蕉
1644年(寛永21年)、松尾芭蕉は忍者の里で知られる伊賀国に生まれた。 父は無足人(むそくにん:苗字と帯刀を許された農民)の松尾与左衛門(まつおよざえもん)。 母ははっきりしないが、一説には、伊賀流忍術の祖とされる百地丹波(ももちたんば)の子孫と言われている。