江戸時代のお米の炊き方は?
昔はどうやってお米を炊いていたのか?
昔は、「かまど」と呼ばれる、今でいえばガスコンロみたいなものを使ってお米を炊きました。 燃料には薪(まき)です。 おコメを炊く容器は「羽釜(はがま)」と呼ばれる容器です。 ご飯は「羽釜」におコメと水を入れて「かまど」で炊いていたのです。
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江戸時代の米の炊き方は?
江戸時代には、2度炊きする方法もおこなわれていたようです。 米と水を釜に入れて火にかけ、沸騰後しばらく炊いてから粘り気のある白湯を捨て、再び蒸して仕上げる方法(湯取り法)で、だいたい20分も蒸せばでき上ります。 これは今でも中国や東南アジアで実際に行われています。
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炊き干し法と湯取り法の違いは何ですか?
「炊き干し法」とはお米を水で煮ながら水分を飛ばすまで熱を加える方法です。 この方法だとお米のおねばが十分に引き出すことができるので、お米の粘りを好む東アジアで広く見ることが出来ます。 「湯炊き法」とはあらかじめ油などで生米を炒め、そのあとでお湯に入れて煮る方法です。 パエリアがこの方法で調理されています。
昔の道具の炊飯器の使い方は?
① お米をといで、羽釜に米と水を入れます。 ② かまどに羽釜をかけ、わらや小枝に火をつけてさらに薪を入れ、火吹き竹で風を送り、 火力を高めながら一気に沸騰させます。 ③ 釜の口とふたのすきまから、ふきこぼれだしたら火力を弱め、羽釜の中でピチピチ音 がしたら火を消します。
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昔の米作りの苦労は?
答えは、八十八です。 農家は、八十八もの手間をかけて米を作っているといわれています。 八十八は、数字そのまま八十八の工程があることを意味するのではなく、日本人ならではの捉え方が関係しており、米づくりの苦労を言い表しているものです。
お米を最初に作った人は誰ですか?
お米は稲(いね)の実から採(と)れた物。 最初に生まれた場所は、まだはっきりとは分からないんだけど、今から6000年前、インドのアッサム地方の人たちが、稲の栽培(さいばい)を始めたのが最初だと考えられている。
江戸時代の混ぜご飯とは?
質素どころじゃない農民の食事
いわゆる混ぜご飯。 少ないお米に稗(ひえ)などの雑穀や大根、芋がら(里芋の茎を干したもの)、サツマイモなどの野菜を入れたものです。 ヘルシーといえばヘルシー。 「かて飯」は米の節約レシピとして飢饉の際にも重宝されたので、レシピ本もありました。
姫飯の歴史は?
弥生時代 土器で、玄米を煮たり、蒸したりして食べた。 奈良時代 土鍋で煮た水分の少ない固めのおかゆを食べるようになり、これが白いごはんのルーツ。 平安時代 固がゆが、さらに水分が少なくなって飯としての姿を見せ、姫飯と呼ばれるようになる。
炊飯の炊き干し法とは?
炊き干し法とは,炊き上げたときに,加えた水はすべて米に吸収されていることが必須の条件であり,限られた水の中で米粒中のデンプンを糊化させなければならないという,かなり高度な加熱操作が求められる調理法である。 炊き干し法を採用した時点からおいしいごはんを炊くための苦労が始まったと言えよう。
炊飯の湯取り法とは?
湯取り法と呼ばれるお米の炊き方は、多めのお湯でお米を茹でた後に、湯を捨てて再過熱する調理法です。 この方法で炊いたお米は、湯を捨てる時にネバネバとしたお米のでんぷん質も一緒に外に出すことになり、一般的に行われている湯を捨てず蒸らして炊く方法と比べて、糖質を減らすことができます。
かまどはいつまで使われていたか?
参考画像
へっつい(かまど) | |
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使用年代 | 江戸~昭和30年代 (60年ぐらい前まで) |
使い方 | 土などで作られ、薪(たきぎ)などを燃やしてお米を炊いたりしました。煙は煙突から外に逃がしました。 |
今は? | ガスコンロ、電気(IH)コンロ |
炊飯ジャーの歴史は?
三菱電機が1967年(昭和42年)に保温機能と炊飯機能を備えた炊飯器を発売、象印も1974年に「電子ジャー炊飯器」を発売しました。 1979年から、火加減を自動的にコントロールしてくれるマイコン搭載の電子ジャー炊飯器が発売されました。 炊飯器の歴史を大きく変えたのが、1988年に登場した「IHジャー炊飯器」。
お米作りで一番大変なことは何ですか?
昔は田んぼに生える草をすべて手作業でとり、この「田の草取り」作業はお米作りの中で一番大変な作業と言われてきました。 イベントでは昔ながらのお米作りを体験しようと、田んぼに生えた草をイネと間違えないように手で掻き取り、泥の中に埋めていきます。
田植えの昔と今の違いは何ですか?
『田植え』の昔と今の違いについて
田植えの昔と今を比べた大きな違いは〝手植え〟と〝田植え機〟です。 手植えの場合、男性が苗を運び田んぼに目印をつけます。 その後、女性が田植えをするのですが一般的で作業が分担されていました。 ちなみに田植えをする女性は「早乙女(さおとめ)」と呼ばれていたんですよ!!
世界で一番お米を食べている国はどこ?
世界最大級の旅行サイト「トリップアドバイザー」が公開した情報によると、世界で一番お米を食べている国はバングラデシュ。 ベスト5を見てみると、2位ラオス、3位カンボジア、4位ベトナム、5位インドネシアという結果。 日本はと言えば、なんと50位だったコメ!
お米はどこの国から来たのか?
米どころの新潟県(にいがたけん)が1位(い)。 北海道(ほっかいどう)が2位、秋田県(あきたけん)が3位となっています。 米の総生産量(そうせいさんりょう)は8,607,000tです。
江戸時代の食事の回数は?
日本では古代には朝夕の2食であり、鎌倉時代の初めごろ、朝廷、貴族の間で3食となり、江戸時代に3食が一般化した。
武士は何を食べていたのか?
一般的な武士の食事は簡素なものでした。 日ごろは、ご飯に味噌汁、漬物など「一汁一菜」が基本です。 ただし、行事や祝い事があると、魚、野菜の煮物、豆腐、卵などがつきました。 また、武家には食膳のタブーがあり、「コノシロ」「フグ」「マグロ」といった魚は食べませんでした。
姫飯と強飯の違いは何ですか?
強飯と姫飯の違い 「強飯」(こわいい)と姫飯の違いは、簡単に言うと調理方法の違いです。 強飯が、お米を「甑」(こしき)と言う穀物を蒸す専用の調理用具で蒸して調理したのに対し、姫飯は、お米に水を加えて釜で炊いて調理した飯になります。
姫始めと秘め始めの違いは何ですか?
秘め始め – 夫婦が初めて秘め事をする日。 姫糊始め – 女性が洗濯・張物を始める日。
お米 浸水しないとどうなる?
浸漬が不足し、米粒の中心部まで水が浸透していない状態で加熱すると、米粒表面に糊層ができてしまい、この糊層が水および熱伝道を妨げるため、中心部には糊化に必要な水が不足し、芯のある米飯になってしまうのです。
米を炊く前に吸水する理由は何ですか?
お米に水を吸わせずに加熱をはじめれば、米粒の表面側からご飯に変化していき、中は硬いままになりがち。 そのような状態を避けるために、あらかじめ米を水に漬けて中心部のでんぷんまで水分を行き渡らせておきます。 これが吸水の役割です。
炊き干し法 いつから?
現在のような“お米に、ちょうど良い水の量を加えてご飯を炊き上げる”ことを『炊き干し法』と言います。 この炊き方が定着したのは、江戸時代になってからです。 炊飯器が誕生するまでは、台所に造られた竈に火をおこして、分厚いフタを乗せた釜(羽釜)で炊いていました。
湯取り法の特徴は?
対して湯取り法は、使用する水の量が決まっていません。 大量の水を沸騰させ、その中に米を加えたら、柔らかくなるまで火を通します。 残った茹で汁をすべて捨て、水気を飛ばしたらできあがり。 2つの調理法の最大の違いは、米を水と一緒に加熱したときに出てくる、白いねばねばした成分「おねば」(米のでんぷん質)の行方です。
炊飯器を作った人は誰ですか?
真空圧力、厚釜、おどり炊き――。 今や10万円を超す超高級品も登場した電気自動炊飯器を、1955年に世界で初めて発明したのが愛媛県新居浜市出身の三並義忠(1908~1966)だ。